gente vol.026 Interview:
湯浅 剛さん 会社員/脊髄損傷(下半身まひ)車いすユーザー
誰でも気軽に、スポーツを楽しめる社会に
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今年の夏に開催されたパリパラリンピック。日本代表選手が連日活躍し、メダル獲得の報道に一喜一憂された方も少なくなかったのではないでしょうか。
湯浅剛さんはリオ大会、東京大会の車いすバスケットボール強化指定選手として、二度に渡りパラリンピック出場を目指していました。が、あと一歩のところで代表入りは叶わず、現在は第一線から退いています。今も自分なりにスポーツを楽しんでいる湯浅さんですが、スポーツへの取り組み方が変わった中、障害者がスポーツをすることについては思うところがあるようです。
怪我によって車いす生活となった湯浅さんには、立位での生活を知るからこそ感じる「障害者扱い」にも思うところがあるようで、それについても率直な意見を語ってくださいました。
パラリンピックが全てじゃない
残念ながら日本代表としてのパラリンピック出場はかないませんでしたが、第一線を退いてからも趣味として車いすバスケを続ける一方、トレーニングジムで身体を鍛えてボディメイキングを楽しんでいます。
g:車いすバスケを始めたきっかけは?
湯浅:入院中にリハビリの一環でちょっとやったのが初めてで、その体育館を練習拠点にしていた車いすバスケのクラブチームがあったんです。練習を見学したら、僕らがリハビリでやるのと全然違って迫力あって。僕は怪我をするまで(詳細は次の記事でご紹介します)野球をやっていたんで、やっぱり「リハビリじゃなくてスポーツだ」と感じられたのがすごく魅力的で、退院したらクラブチームで続けたいなと思いました。
g:クラブチームで競技として取り組んで、試合や大会に出たいと。
湯浅:大学野球で全国大会にも出ていましたし、スポーツをやるからにはトップを目指したいマインドはそもそもあって。 日本代表とか、トップレベルの試合を意識するのは僕にとって自然なことでしたね。
g:では退院後、見学したクラブチームに?
湯浅:いえ。偶然なんですけど、僕の卒業した中学校の体育館を練習拠点にしていたチームがあって、それが今所属しているNOEXCUSEなんです。強豪チームだし練習場所は家から近いし、それでこっちに。
g:練習取材したのはお台場のパラアリーナでしたから、家からは遠くなりましたね。
湯浅:パラアリーナはパラ競技専用で、使用の抽選競争率が低いんです。なので使用頻度が高くなるんですよね。一般の体育館は競争率が高いし、車いすで使える体育館も増えたとはいえ多くはないので。最近はわかりませんけど、十年くらい前だと理由もよくわからないまま「車いすの競技はできません」と断られることはありました。退院してすぐの頃、僕が健常者の頃から友達と使っていた公共の体育施設があって、車いすバスケをやってみようとそこに行ったんです。そうしたら「車いすの方は使えません」という対応で。2年前まで通っていた場所ですよ?僕は変わっていないじゃないですか。ただ「この乗り物」に乗っているだけ。それだけでもう利用できなかった。「排除された」と感じましたよね。物理的に行けなくはないんです、段差があって行けないわけじゃないんですよ。それまで「物理的に行けないものはしょうがないな」って諦めがどこかにあったかもしれないですけど、物理的に行けるのに謎の制度で使わせてもらえない。「今まで使えてたじゃん、俺」って。そういうこともありましたね。
g:何故使えないのか、説明はなかったんですか?理由は結局わからずじまい?
湯浅:わかりませんでしたね。「決まりだから」ってだけで。一番嫌な思い出ですね。
g:東京でのパラリンピック開催を経て、そういう状況に改善は見られるのでしょうか。
湯浅:緩和はされていますね。使える施設は増えてきていると感じます。
g:クラブチームで競技を始めて、パラリンピックを目指していたんですよね。
湯浅:リオ大会から強化指定選手になって、東京大会まで代表入りを目指していたんですけど、結局代表には残れませんでした。もう結婚して子どもも生まれていますし、年齢的にもライフスタイル的にもこれ以上勝負するのは難しいなと。だから代表にチャレンジするストーリーは終わりにしました。
g:車いすの競技に限りませんが、「障害者スポーツ=パラリンピックを目指す」といった競技志向のイメージが強いように感じませんか?
湯浅:確かにありますね。「もう車いすバスケはやめちゃったの?」と聞かれることもありますけど、代表を目指していないだけで、車いすバスケはやめていないんですけどね。
g:代表入りには区切りをつけても、車いすバスケ自体は続けているんですよね。
湯浅:はい。もちろん全部のチームが日本一を目指しているわけじゃないし、 例えば40代50代の人がメインで、月一回趣味で練習しているようなチームもあるんですよ。でも皆さんがパラ競技を見る機会はパラリンピックくらいしかない。なので障害者スポーツ=パラリンピアンのイメージで、普通にクラブチームがいろんな地域にあるとは知らないんでしょうね。
g:クラブチームは各地域にあるし、大会も開催されているんですよね。
湯浅:ありますね。全部が全部トップレベルクラブの大会だけじゃないですし。でもパラリンピックがビジュアル的に先行しすぎていて、「車いすに乗っていても、皆ああいうことができるんだ」と刷り込まれてしまっているのかなとも感じます。パラリンピックに出るようなアスリートは、もう本当に一握りの人達ばかりなんですけどね。
事故や病気などの理由で脊髄を損傷し、神経伝達が失われると脳からの指令が届かず感覚が失われ、動かすことのできないまひ状態となります。圧迫などの損傷により神経伝達が一部残された場合には感覚、機能の一部が残る場合もありますが、代謝が不活発となるため自律神経系に支障が生じます。一般に損傷部位が頭に近いほど、機能障害も大きくなります。
従来、損傷した脊髄が再生、回復する治療法はなく、治らないとされてきましたが、近年再生医療研究が進み、治療の可能性が模索されています。
「想定されていない」自分たち
g:代表入りを目指していた頃に始めた筋トレは、今も続けているんですよね。
湯浅:コロナ禍の期間は体育館が使えず、車いすバスケの活動ができなかったんです。そんな中で練習が再開された時のために身体を強化しておこうと、家でできる筋トレを始めたんですね。で、筋トレが楽しくなってきて、練習再開後も継続していたんです。もう生活の一部になったような感じで。そんな中でジムでできたトレーニング仲間から「ボディビルの大会出てみない?」と誘われて。それが2021年ですね。
g:バリアフリーなトレーニングジムというのは、結構あるものなんですか?
湯浅:いや、全然見つからなくて。設備的に使えない、段差があるのもそうですが、「車いすユーザーは介助者がいないと使えません」とか言われたり。
g:介助者というのは?何を介助するために必要なんでしょうか。
湯浅:いや、全然中身がわからなくて。危ないから、とは言われました。「一人だと危険なため、付き添いの方と一緒に来てください」とか。何が危ないのか、何の介助が必要で、とは確認できませんでした。そもそも「車いすユーザーはこうです」って対応で、僕の状態を見るわけでもなく、「車いすユーザーは」ってカテゴライズで断られた気がしました。僕に何ができて何ができないかは関係ないんだな、と感じました。
g:湯浅さんは車も運転するし、多少の段差なら車いすで行けますよね。トレーニングマシンにも一人で移乗できると思いますけど、そういう状況は関係なく?
湯浅:言ってもダメでしたね。まだほとんどがそういう状況だと思います。今は自宅から近い場所に通えるジムを見つけられて、そこに通っています。
g:ジムを見つけるだけでも相当大変なのに、車いすで出場できるボディビルの大会があるのはちょっと意外でした。
湯浅:そうですね。僕が出た大会は、アメリカと日本のフレンドシップマッチみたいな大会だったんです。だから結構アメリカナイズされていたのか、僕が「出たいです」と言ってもウェルカムでしたね。当時日本の団体が主催する大会には全然出られなくて、断られていたんです。「対応できません」という返答ばかりで、単純に「海外の方が自由でいいな」と感じましたね。今通っているジムのオーナーも、アメリカと日本のミックスルーツの方が社長で、僕が「車いすで通えますか」って問い合わせても、「どうぞご自由に。なんでそんな質問するの?」みたいな感じだったんですよね。僕は文化というか、そういうものを探し求めている感じです。
g:たまたま地元にあったのは、運が良かったですよね。
湯浅:都内のジムで通えた所もありましたけど、遠かったので。
g:大会の方は一度出たきりで、その後出場できる機会はなかったんですか?
湯浅:2022年にシンガポールの大会に出たことがあります。健常者も車いすユーザーも関係なく、一緒に出られる大会があって。海外では車いすの部がある大会もあれば、一緒に出られる大会もあるんです。たまたまそこに出場する知り合いがいたんで、一緒に。「日本もこうなればいいのにな」って、ずっと思っています。
g:日本の団体が主催する大会は、車いすの人が出場する想定がそもそもない、ということなんでしょうか?
湯浅:そうですね。「車いすで出られますか」と問い合わせると、「車いすカテゴリー扱い」されちゃうんですよ、まず。それはそれでいいんですけど、「対応ができないので出られません」と。おそらく前例がないからどうしていいかわからない、ってことなのかなと思うんですけど、そういう感じで問い合わせ段階でNGを出されたのが3、4団体。
g:海外の大会には混在で出場できる大会もあるのに、日本の大会では基本「分ける」と、そういう考えなんですね。
湯浅:そう感じましたね。その問い合わせの回答からは。
g:先日開催された車いすボディビル大会には、湯浅さんも出場されました。「車いす部門」と分けられることについては、複雑な気持ちもありますか?
湯浅:僕自身は国内で車いす部門が開催されるだけでもありがたい、出られる大会があるだけでも第一歩だと思っているので、「一緒に」ではないこと自体は気にしていません。その時の運営の方に、「車いすユーザーと健常者が一緒に出られる大会があっても良くないですか」とはお話をさせていただきましたけど。そういう大会があってもいいと思います。
おへそから下がまひしている湯浅さんは体幹がブレてしまうため、車いすのフレームを掴んで姿勢を維持する、車いすにウエイトを載せ浮かないようにする、車いすと自分をベルトで固定するなど工夫してトレーニングを行っています。マシンへの移乗やウエイトの付け替えはもちろん一人でできます。下半身の踏ん張りが効かない分、純粋に上半身の筋力のみでトレーニングをこなします。
選択肢は「パラ」だけ?
g:車いすバスケはパラスポーツで、初めから「車いすユーザーのスポーツ」という位置付けですよね。でも身体を鍛える、車いすでジムに行くとなると、いわゆる「パラ」じゃないというか。身体を鍛える、スポーツを楽しむという文脈においては、まだ壁があるように感じていますか?
湯浅:めちゃくちゃあると思いますね。例えば車いすユーザーが何か運動する=パラリンピック種目を勧められるのが当然というか。「車いすバスケやったら、車いすテニスやったら」と言われますけど、 そんな大層なことじゃなくて。健康増進のためにジムでちょっと身体を動かすとか、皇居ランする人、ライフサイクルのひとつとして身体を動かす人はたくさんいます。車いすユーザーでも、当たり前にジムに行って身体を動かせる、鍛えられる。そういう風になって欲しいんですよ。
g:障害のある人が気軽にスポーツを楽しめる環境が求められますね。
湯浅:環境が変わって欲しいという思いはありますね。 誰でも家から近いジムで、気軽に身体を動かせる環境になって欲しいです。それこそ「ちょっと汗かきたいな」でパラアリーナまで往復三時間かかる、では大変ですよね。もっと近所で気軽に身体を動かせる社会になって欲しいんです。今は極めて限られていると思っていて、僕自身、僕以外の人がジムでトレーニングしているのをほとんど見たことがないんです。でも僕が車いすバスケの海外遠征に行った時、アリーナの隣に併設されたジムで車いすユーザーの女性がダンベル上げてるとか、トレーニングする人が当たり前にいたんですよ。海外には普通にいたのに、日本ではまず見ない。ないですよね、その環境が。
g:「パラスポーツしか選択肢がない状況」とも言えるでしょうか?
湯浅:そう思えますね、僕自身がそうでしたし。車いすユーザーとか義足とか、何らかのフィジカル的な特徴がある人は、運動=パラ競技みたいな現状だと思います。
g:現在通っているジムでは健常者、立位の人と同じ環境でトレーニングしていると思いますが、何か不都合などは?
湯浅:特に何もないです。例えばマシンにウエイトを載せるのが難しければ「手伝ってください」って言えば皆さんやってくれますし。以前は「車いすで筋トレしてて偉いね」と言われたこともありましたけど、今はそういう声のかけられ方はしません。ただ、やっぱり車いすユーザーが運動している=パラリンピック種目、と刷り込まれている方は多いようで、トレーニングしていると「何かやってるんですか」とは聞かれます。「趣味でバスケやってます」って答えるんですけど、それも僕は「どうでもいいでしょ」って話なんですよね。 だって一般の人がジムでトレーニングしていても、いちいち「何かスポーツやってるんですか」って聞きませんよね?「健康のために」「ちょっと痩せたくて」とかそういう理由と一緒で、「イケてる車いすユーザーになりたい」でもいいじゃないですか。やっぱりどこかで障害者のスポーツ=パラスポーツ、パラリンピック競技のイメージを切り離せないところはあるのかなと思います。「ボディビルやってます」と言ったことあるんですけど、超驚かれましたもん。
g:その驚きに「パラスポーツじゃないんだ」という意味合いが感じられるんですね?
湯浅:感じますね。
g:障害のある人がスポーツすることについて、偏ったイメージがあるように思えますね。見られ方、イメージが変わっていけばいいのになと思います。
湯浅:そうですね。見られ方もそうですし、実際にできる環境も変わっていって欲しいです。自分がよりやりやすいように、と思えばオリジナルが一番なので、自宅にトレーニング部屋を作ったんですけど、ジムでトレーニングした方が楽しいですし、いろんな人とコミュニケーションも取れるじゃないですか。そういう場所に行った方が「こういう奴がいる」って認知されるな、とも思いますし、僕は楽しくやってます。今は健康のために身体を動かそうとすると、僕らはやっぱりパラリンピックの競技種目を勧められる。そのために車で何時間もかけて、とかそんな大袈裟なことじゃなくて、身近な場所で身体を動かせる環境が整うとうれしいなと。誰でも健康的な生活を送れる環境がある社会になって欲しいと思いますね。
パラリンピック東京大会を契機に、パラスポーツの認知度は向上し、競技環境には良い変化も見られます。一方で「障害者=パラスポーツ」と特別視するイメージの偏りも否めず、それが無意識に刷り込まれてしまった、と言える側面もあるかもしれません。当然ながら競技志向で結果を求めるだけがスポーツではなく、もっと気軽に楽しみたい気持ちに障害の有無は関係ないはずなのですが、障害者が気軽に身体を動かせる社会には、まだ道半ばのようです。
かつて4年半に渡り男子テニスシングルスランキング1位を維持し続けたR.フェデラーは2007年、記者に「なぜ日本テニス界から世界的な選手が生まれないのでしょうか」と質問され、「日本には国枝(※1)がいるじゃないか」と返答しています。その発言からもう17年、そろそろ障害者が身体を動かすのは特別なこと、パラスポーツは自分たちがやるスポーツとは別のもの、と考えるのはやめても良さそうです。
※1)国枝慎吾:国民栄誉賞を受賞した元プロ車いすテニス選手。四大大会において計50回(シングルス28回・ダブルス22回)優勝、パラリンピックでは4つの金メダル(シングルス3回・ダブルス1回)を誇る、車いすテニス界のレジェンドプレイヤー。ちなみに2007年は錦織圭がプロデビュー直後で実績がなかったものの、それ以前に杉山愛、伊達公子など世界ランキングトップ10以内に入った女子選手はいました。
フリーペーパー「gente」では、湯浅さんの日常生活面についてもインタビュー。こちらはぜひお近くの配架先、またはお取り寄せをご利用の上、紙面でご覧ください。