gente vol.027 Interview:
綿谷 芳さん レシピのいらない料理術認定講師/難聴
私は私で良かったなって、今はそう思います。

手話で世界が広がって
「子どもの頃から補聴器を付けていますけど、出産を経て今は補聴器を付けてもほとんど聞こえないんです」という綿谷芳さん。生まれつきの難聴者で、『手話と声で教えられる料理の先生』として活躍しています。ですが意外にも、手話を身に付けたのはごく最近だそうで、「手話とは縁がなかったし、自分が使うと思っていなかった」とのこと。「聞こえにくい人=手話」のイメージですが、一体なぜ縁がなかったのでしょうか。そしてそんな綿谷さんが、手話も使って料理を教えるようになったきっかけや、手話を覚えてよかったと感じている理由についてお話を伺いました。もちろん料理教室も取材。聞こえる人も聞こえにくい人も一緒に楽しむ様子をご覧ください。
聞こえる社会で暮らすため
g:聞こえにくさは生まれつきだそうですが、ご家族に聞こえにくい人は?
綿谷:私の家族にはいません。聴者ですね。聞こえにくいとわかったのは一歳半で「なんか反応が違う」って、そこで初めて。
g:声をかけても反応がないとかで「聞こえにくいのかな?」と。わかった後、周りの人とどうやってコミュニケーションを取ったり、言葉を覚えたりされたんでしょうか?
綿谷:二歳くらいからろう学校の幼稚部に通っていたんですけど、口話教育(※左頁note参照)だったので手話は全く使っていなくて。たぶん絵を使ったり、視覚的なコミュニケーションを取っていたと思います。
g:幼稚部で口話を教わって、相手の口の動きを見て読み取ったり、声を出して話していたと。ご家族とも音声会話で?
綿谷:そうですね。幼稚部には最初もう一人生徒がいたんですけど、途中で転校しちゃって。3、4歳くらいからは卒業するまでずっと一人で、マンツーマンで逃げ道がないので辛くて。わからなくて。
g:一般的な幼稚園とは違うんですね?ずっと口話練習をしているんですか?
綿谷:もうひたすら口話の訓練です。言葉を覚える、自分から発する、口を読む訓練。わからなくてつい髪の毛触っちゃうんですけど「髪の毛触ってわかるの」って(笑)。辛かったですね。
g:小学校以降もろう学校ですか?
綿谷:同じ学年の子がいなかったので、ろう学校だと中学までずっと一人かもしれなくて。それだったら大変かもしれないけど、地域の小学校に通おうということになって。
g:授業はどうでしたか?板書しながらだと、先生の口元は常には見えませんよね?
綿谷:低学年の頃は適当にやっていけてたんですけど(笑)。小学5、6年くらいから内容がわからないことが増えました。けどそれが普通になっちゃっていましたね。
g:授業を受ける上で、何か配慮などはあったんですか?
綿谷:口の形が見やすいように、前から一列目か二列目くらいの席に座らせてもらって。三年生からは難聴学級に通いました。
g:難聴学級というのは?
綿谷:言葉の訓練を受けるんです。口話の練習、コミュニケーションをうまく取れるような授業をマンツーマンで。小学校の頃は学校を早退してバスで40分くらいかけて通ってました。言葉の訓練以外に自分の好きなことをやっていい時間があって、私はお菓子を作るのが好きだったんで、お菓子作りをしていました。中学は学校の中に難聴学級があったので、通わなくてよくなって。
g:授業以外の学校生活はいかがでしたか?
綿谷:幼稚部ではずっと一人だったので、いきなりたくさんの子に囲まれても友達の作り方がわからなくて。母が言うには、一年生の頃は隣の男の子をいじめちゃったりとかしていたみたいです(苦笑)。付き合い方がわからなくて、物を隠しちゃったりとか。
g:(笑)。結果、友達は作れたんですか?
綿谷:近所で同い年の子がたまたま同じクラスで、仲良くしてもらった記憶があります。口話は声を出さなくても口だけ動せば話せるので、小学校の親友とは遠く離れた所から口だけ動かしておしゃべりしたり。ただ集団での会話は、皆がいっぺんに喋り出すとやっぱりわからない。補聴器をつけてもちょこちょこっと聞こえるだけで「何言ってるの?何話してるの?」って、理解できなかったですね。
g:お話を伺うとやはり「大変そうだな」というのが率直な感想ですが、ご自身としてはどうでしたか?
綿谷:その頃は「自分だけがわからない」っていう状況をすごく悲しく思っていましたけど、今はもう切り替えられてますね、「聞こえなくてもいいじゃん」って。大事な話じゃない限り、たわいもない話はね。全部聞き取れたらもちろん楽しいですけど、全て知らなきゃいけないわけでもないし。「わからなかったらそれはそれでいい、次行こう」っていう気持ちに今はなっています。でも学生の頃は孤独感を持っていて「自分だけ取り残されている、皆の中に入れない」って感じていましたね。仲良くしたい気持ちは常にあったんですけどね。

【口話とは】
聞こえにくい人が聴者(聞こえる人/口頭会話者)の口の動きを読み取り、音声で発話する口頭会話技術です。口の形や動きを真似する事はできますが、聞こえにくい人は自分の発話した音声の確認が難しいため、聴者と同様の発話を正確に表現する事は難しく、聞こえにくい人の中には口話を好まない人もいます。また、口話教育は聞こえにくい人を聴者社会に合わせるための教育として、差別的であるとの意見もあります。
【ろう教育の歴史と手話】
明治期から昭和初期まで、手話は口話習得の妨げになるとして世界的に使用を抑圧されてきました。ですが徐々に見直され、国内においては1995年に文部省が手話をコミュニケーション手段として認知、2011年の障害者基本法改正で手話は言語として明記されました。現在はほとんどのろう学校で手話を使用していますが、その多くは日本語対応手話(※1)を用いたものであり、口話と手話の併用による「同時法」と呼ばれる教育方法が取られています。
※1.手話には日本語と異なる独自の文法や語順を持つ日本手話と、日本語の語順文法に手話のサインをあてはめた日本語対応手話の二種類があります。生まれつきのろう者が主に日本手話を第一言語とするのに対し、対応手話は中途失聴者や日本語を第一言語とする人にとって理解しやすい手話と言えますが、テレビ手話通訳等においても混合した手話が使われるケースがあり、失聴した経緯や環境などにより手話はさまざまに使われています。
社会に出て、時代とともに
g:高校大学と進学される際、聞こえにくいことで何か不都合なことはありましたか?
綿谷:高校大学はなかったです。アルバイトの方が厳しかったですね。「聞こえない人はちょっと無理」とか。一番最初に働いたのはケーキ屋さんで、パティシエの一番偉い人が私と面接して 「いいよ」って入れてくださったんですけど、事務の方が私が聞こえにくいのを後から知って「すみません、辞めてください」って言われて。母はそれを聞いて「おかしい」って電話したんだけど、でもしょうがない。理解がない人は。
g:自分としても「しょうがないな」と?
綿谷:初めてのアルバイトだったんで「聞こえない人に対して、こういう目があるんだ」って知りました。その後も調理をやりたかったんですけど、お弁当屋さんは研修でクビになりました、「電子レンジの音が聞こえない」って理由で。スーパーのお惣菜作りは二年ぐらい働きましたね。調理場がものすごくうるさいので、呼ぶ時は肩をぽんぽんと叩いてもらって、顔を見てゆっくり話してもらっていました。
g:アルバイトを断られるケースも多かったんですね。その後就職は障害者採用で、その会社に18年間勤めたんですよね?
綿谷:はい。商品管理の仕事で、パソコンを使った事務系の仕事でした。
g:職場での配慮状況はいかがでしたか?仕事中のコミュニケーションなどは。
【表情豊かな綿谷さん】
インタビュー中も手の動きと表情が豊かな綿谷さん。視覚優先の方には、さまざまな方法を使って豊かな感情表現をされる方が多い印象です。テーブルにあるのは音声認識アプリのためのタブレット端末。どうやらインタビュアーの口の動きが「中の下」くらいで口話では読み取りにくいらしく(笑)、補助的に使われていました。
綿谷:最初の頃はあまり配慮がなくて、会議も私抜きでやっているような感じでした。参加はするんだけど、私がわかっているかどうかは関係なく進むので。資料も配らないし口頭で発表するだけなので、何を言っているか本当にわからなくて。でも親切な先輩が会議後に「こうだったよ」って大事な所は教えてくれて、ありがたかったです。
g:口頭で進んでいく会議では、皆が一斉に意見を言い出すと把握できませんよね。
綿谷:だから意見も言えなかったですね。
g:職場の人は「聞こえないからしょうがないよね」という空気感だったんですか?
綿谷:そうですね。でも勤めていた時期の後半、理解のある上司が入ってきてからはプロジェクターで資料を映して、皆さんが話している内容を上司がテキストで打ってくれたんです。なのでその場で内容を把握しながら、会議に参加できていました。
g:便利なアプリやデバイスが増えて、かなり状況は変わったんですね。
綿谷:音声認識アプリが出たばかりの頃、「使ってもいいですか」って聞いたら許可してくださって。仕事でスマホを使ったりもしていましたね。その頃はもう意見も言いやすくなって、コミュニケーションが取れているな、って感じはしていました。
g:便利になっただけでなく、周りの人の意識にも変化があったと感じていますか?
綿谷:そうですね。職場には私以外にもう一人、ろう(※2)の後輩がいたんです。その人は発声がちょっと苦手だったんで、とにかく書いて伝えていたんです、聴者に。手話も使うんだけど、私もわからなくて。だから自分だけだったら諦めてしまう部分もあったかもしれないんだけど、ろうの後輩のためにも環境を良くしたい気持ちがあって、「こういう風にできないですか」とか上司に掛け合ったりはしていましたね。
g:お子さんとは口話でのコミュニケーションですよね。もし3人がいっぺんに喋りだしたら、全部はわからないですよね?
綿谷:子ども達同士の話は、わからないこともあります。けど本当に伝えたい話は口の形をはっきりと、私に合わせてゆっくり喋ってくれるので。夫も難聴者なので、子ども達は家族皆での会話ではゆっくりわかるように話してくれます。ただ立ち話が聞き取れないのと同じように「全部理解しなきゃ」という気持ちはないんです。内容が気になる時は、自分から聞きますけどね。
g:そう思えるようになったのは、いつ頃からなんですか?
綿谷:結構最近ですね、35歳過ぎくらいから。仕事と子育てで忙しい中、「本当は何がしたいんだろう?」って自分を見つめ直した時期があって。会社を辞めて料理の道に進もう、と決めたのもこの頃ですね。それまではすごく人見知りで、大人しい性格だったんです。だから周りの人が何を言っているかわからなくても、会議の内容がわからない時も、わかるまで何度も聞き直すのが申し訳ない気持ちもあって。その頃はわかってなくてもわかったフリをしてしまうこともありましたね。
※2.手話を第一言語とする人を一般的に「ろう」(またはろう者)と言います。綿谷さん自身は明確な区分けをしていないそうですが、ご自身のように日本語を第一言語とする人は聴力によらず「難聴者」と捉えているそうです。

手話と出会って
g:ずっと口話で生活してきた綿谷さんが、手話を覚えたきっかけというのは?
綿谷:ろうの後輩が同じ部署にいたのは3、4年なんですけど、彼女は口話ができたので簡単な手話だけしか使っていなくて、それに甘えていたかなとは思いますね。本格的に手話を覚えたのは二年半前で、料理教室にたまたまろうの方が参加してくれまして。片言の簡単な手話でやり取りはしたんですけど、手話がわかったらもっと心が通じ合えるんじゃないかと思って、勉強しはじめました。それがなかったらそのままだったと思います、周りにいる難聴者の友達は、ほとんど口話でしたね。
g:手話自体はもちろん知っていたと思うんですが、縁がなかったんですね。
綿谷:手話のドラマとかで興味を持っていた時もあったんですけど、実際に自分が手話を使うことはなかったですね。ろうの人に初めて会ったのは私が大学生の時で、たまたま友達が連れてきたんです、ろうの友達を。そうしたらもう本当に手話だけで「何この世界?私、会話に入れない」ってすっごいびっくりしたのを覚えています、同じ聞こえない人なのに。
g:新しく言葉を覚えるわけですけど、手話を身につけるのは大変でしたか?
綿谷:普段の生活に手話があるわけではないので、なかなか覚えられなかったですね。例えば手話通訳者さんの手話はまあまあ読み取れても、ろうの方々が使う日本手話は全くわからなくて。
g:手話通訳で使われるのは、日本手話ではないんですか?
綿谷:手話通訳者さんは依頼者に合わせて手話を使い分けてくれるので、私には日本語対応手話を使ってくれます。日本語会話の通りに手話に置き換えているので、私にとってはわかりやすいんです。
g:ろうの方々が使う日本手話とは、違うものなんですね。
綿谷:日本手話でしか使わない表現もあるので、難しいです。地域のろう協(※3)で活動しているんですけど役員の皆さんはろうなので、ろうの手話に慣れなきゃいけない。しかも議事録担当なので、手話がわからないと成り立たちませんし(笑)。もうとにかく必死でしたけど、今はまあまあ読み取れるようになりました。
※3.地域ごとに組織される聞こえにくい人の当事者団体。当事者権利保護や社会参加の推進などを目的に活動しています。

g:手話やろう文化との出会いによって、新しい体験もいろいろあったと思いますが。
綿谷:そうですね…例えば私は、相手が何か言った時「うんうん」「なるほど」とか声に出して相槌を打つんですけど、ろうの方は聞こえないので「わかってる?」ってなっちゃうんですよ。だから何かしら表情とか仕草で答えていかないと「わかってる?」と言われちゃいますね。あと、ろうの方と一緒に活動する時、口話で喋ると「皆にわかるように共通の手話を使って」とは言われますね。私も聴者の中にいたら聴者の立ち話はわからないですから、それと同じようにろうの中にいたら「立ち話でも、皆が見てわかるようにしてほしい」って言われます。あとは手話でどう表現するのかわからない時、私は指文字(※4)を使うことが多いんですけど、ろうの方の中には指文字が苦手な方もいて「わからなかったら、ジェスチャーでやってみて?」っていう人もいて。指文字って多いと読むのが大変ですし、ジェスチャーだったらパッと視覚的に読み取れる、イメージできるのでそっちでやって欲しい、と言われたりもします。だから聞こえない人もいろいろですね。
g:手話と日本語は別の言葉なので、日本語が第一言語の綿谷さんにとっては難しさもあるのかなと思うんですが、どうですか?
綿谷:うーん、でもろうの方って本当に表情がすごい豊かな方が多くて、手話を知らなくても通じる部分があるんですよ、表情をうまく使って表現される方もいて。喜怒哀楽の表現もすごく上手だし、気持ちがストレートに入ってくるなって感じますね。口話だと私は自分の声がはっきりと聞こえていないので、声が高いのか低いのか、大きいのか小さいのかもよくわからない。だから声だけで表現できてるかっていうと、ちょっと自信がないんです。だから手話を覚えて「うれしい」を手話で言うにしても本当にうれしかったらもう「うれしい!」って大きく動かすんですけど、その抑揚がつけられるようになって、自分の気持ちを表現しやすくなった、っていうのはありますね。
g:手話に魅力を感じている一方で、日常生活で使うのは口話ですよね。手話を覚えて「ろうのコミュニティのほうが居心地がいい」と感じる部分もあるんですか?
綿谷:切り替えをしています。口話の世界と手話の世界、いろんな世界があっていいと思うんです。手話でろうの方達と心を通じ合える世界も素敵だし、口話中心に育ってきた難聴者や聴者とは口話でコミュニケーションして、心が通じるのも楽しいし。
g:手話を覚えて新しい発見をして、両方知っているからこそ、なんですかね。
綿谷:触れ合える人がすごく広がったし、視野も広がったし。いろんな人と接することができるのが、すごく楽しいんです。
※4.手の形で書記言語の文字を表す視覚表現の一種。

g:出産を経て聴力が落ち、今は補聴器をつけていても右耳はほぼ聞こえない状態だそうですが、生活に変化はありますか?
綿谷:それまではっきりは聞こえなくても、何かしら音は入ってたので、補聴器をしても音が何も入らない状態になったのは不安になりましたね。
g:具体的にはどういう変化がありますか?
綿谷:平行バランスが取れなくなって、慣れるまでは常に傾いているような状態でしたね。無音の世界になると時間の流れがゆっくりに感じるし、感度が下がるんです。家にいる時はいいんですけど、外に出ると目で情報を取り込むのに必死なので、慣れるまでは本当に大変でしたし、出来ていた事が出来なくなった喪失感はあります。
g:いろいろと変わるんですね。では例えば「完全に聞こえればいいのにな」と考えたことはありますか?
綿谷:それ、よく聞かれるんですけど、そうでもないですね。そう思っていた時期もありましたけど、聞こえないが故に経験できることがたくさんあるんですよね。たくさん優しさをもらえるし、それを励みにすごく頑張れているんです。今まで辛かったこと、悲しい思いをいっぱいしてきた分、人の気持ちを考えられる部分もあるのかなって。悩んでいる人に寄り添えたり、周りの人のちょっとした気持ちの変化に気付いて声をかけると「なんでわかったの?」と言ってもらえることも結構あって。若い頃は助けてもらってばかりで、自分がそれを「返せていない」と劣等感を感じていたんです。引っ込み思案だった性格もあって、自分の本音や考えを発する機会もなくて「私っているのかな?いないのかな?」って、存在意義を感じることができなかったんです。でも今は「私にしかできないこと、私だからできることがある!」とわかっているし、大変だった時期は絶対無駄じゃなかった、活かされているんだと感じています。「自分がいていいんだ」っ思えるようになれたことに、今は感謝しているんですよね。
かつて引っ込み思案だった頃の面影は、今の朗らかで快活な綿谷さんからは想像もつきません。聞こえにくさ自体はむしろ増しているにも関わらず前向きになれたのは、手話との出会いや聞こえにくさへの向き合い方が変わったからでした。
聞こえにくさはそれぞれです。従来その違いはあまり認識されてこなかったように思いますが、時代の移り変わりと共に少しづつ変化し、今やその対応もさまざまです。「手話は言語である」との認識はもはや一般的となり、補聴器や人工内耳のような医療技術の進歩もあります。音声認識などのIT活用によるコミュニケーションなど聴者が取れる手段も広がり、一人ひとりの違いに合わせられる選択肢は増えてきました。
違いがあっても、不都合なく生活できる社会。そこに向かって、一歩ずつでも近づけてはいるでしょう。必要なのは「違いを識ること」それこそが歩みを止めない方法です。それによって子どもの頃の綿谷さんのような寂しさを感じる子も、いつかいなくなるのだろうと期待しています。
綿谷さんが手話を習った藤乃先生との対談動画
藤乃先生との対談料理教室での出会いをきっかけに、一念発起して手話をはじめた綿谷さん。手話を習った藤乃先生との対談が公開中です。生い立ちからお仕事事情まで、ぜひ綿谷さんの声でお話を聞いてみてください。他にもすぐに使える手話フレーズや手話のあれこれを学べる、手話に興味がある方におススメのチャンネルです。どうぞご覧ください!
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