跡見学園赤松ゼミ×ミライロハウスTOKYOスタッフ 「gente vol.016」座談会


7月に実施した跡見学園赤松ゼミ取材では、学生の皆さんがそれぞれ「gente vol.016」を読んだ感想を共有していました。今度はそれを当事者と共有して、立場の異なる人が同じ記事からどのような感想を持つのか、どんな共通点があり何が異なるのかを感じよう、という趣旨でミライロハウスTOKYOさんにご協力いただき、アルバイトスタッフの皆さんと「gente vol.016座談会」を行いました。跡見学園赤松ゼミからは5名の学生が参加、ミライロハウスTOKYOのアルバイトスタッフさんはそれぞれ見え方の違うロービジョンの方が3名、そしてそれぞれ身体状態の異なる車いすユーザー3名が参加してくれました。

まずは仲良く

 

赤松ゼミで学んでいる内容やミライロハウスTOKYOについて簡単な説明の後、アイスブレイクとしてちょっとしたゲームを一緒にやってみることに。「20枚のコピー用紙をどう使ってもいいから、とにかく高く積み重ねたチームの勝ち」というもの。学生さんとアルバイトスタッフさんの混成チームを3つ作り、それぞれまずは作戦会議。

作戦会議を終えてゲームスタート。いっせいに紙を積み重ね始めますが、なかなか思うように高さを出せないようです。そんな中、1チームだけが着実にタワーを建設。これはもう圧勝ですね。制限時間5分以内に積み重ねた紙が20秒間自立すれば条件クリアなのですが、ひときわ高く建てられた勝利チームのタワーはゲームが終了して座談会がはじまっても、ビクともせずに立っていました。


座談会:gente vol.016感想共有

ゲームで場が和んだところで、いよいよ座談会に入ります。まずは跡見学園赤松ゼミの学生さんたちが、7月の授業で共有した感想を発表していきます。

■自然に手を差し伸べるのは難しいけど、知識を身につければ適切な行動がとれるようになるのでは

■ユニバーサルマナーは心の負担も軽くするのではないか

■当時者が肩身が狭くなってしまう発言を無神経にしてしまっているのでは

など、ゼミで発表された感想が述べられました。(学生の感想について詳しくはゼミ取材記事をご覧ください)。これを受けて、ミライロハウススタッフの皆さんもvol.016を読んで感じたことをひとりずつ述べていきました。

◆私も視覚障害があって、日常生活の中で1人では難しいこと、助けが欲しいことはあります。そこで「助けて」っ言える繋がりや人間関係が大事なのかなって思いますし、それは障害の有無に関係なくそうなのかなと思いました。

周りの環境ってすごく大事だなと思いました。杉﨑さんはあまりサポートを受けられなかった小中学校にくらべて、サポートを受けられるようになった高校では気持ちの持ちようも変わっていって、周りの環境で当事者のメンタルも変わるんだなって感じました。

私は高校は盲学校に行きましたが、小中学校は普通の学校でした。学年が上がるにつれて周りの子たちが「あの子は障害者なんだ」って認知し始めると、なんだか壁みたいなものができてちょっと友達が作りづらくなってしまったり、人よりもできないことがある、苦手な部分があると思い引け目を感じて、積極的になれない部分はありました。高校で視覚障害が当たり前の環境になってやっと積極性が出せるようになり、やっぱり自分にとって視覚障害は引け目に感じるものだったんだなって感じた部分です。
もうひとつ、私は理学療法学科を卒業したので、身体に障害のある人たちにどういう手助けをしたらいいかっていう知識はあります。けれども視覚障害のある自分が手助けしていいのかな、って躊躇してしまう部分もあったんです。でも私自身が当事者として「何かお手伝いしましょうか」って言われて、嫌な思いをしたことは1度もないんですね。なので自分自身も声をかけられる人間でありたいなと、このvol.016を読んで、皆さんの話を聞いてあらためて思いました。
私はvol.016を読んで、教室移動の話にはちょっと驚きました。私は杉﨑さんと私と同じ障害なんですけど、お尻で階段を上ったり降りたりしてたって、そこまで大変な経験をしたことはなかったです。
もうひとつ感じたことは、自分がやりたいことや夢を叶えるのに、自分一人の力だけじゃなく誰かに力を借りてもいいと思います。障害によってできないことがあっても、誰かの力を借りて結果が得られるのなら、そうして目標を達成したほうがいいと思います。

私はこのvol.016を読んで懐かしい気持ちになりました。小学校は通常学級だったんですけど、 先生から「やってあげなきゃ」とか「お世話してあげて」って確かに言われてたなって思い出したんです。その頃は特に違和感を感じずにいたんですけど、高校から特別支援学校に行くようになって、いろんな障害特性を持った子たちと一緒になってはじめて「あの環境、私にとって居づらかったな」って気づいたんです。だから環境と周りの人で大きく変わるなって思ってて。私が小学校の時に違和感を感じずにいられたのはと、周りの子たちが普通に接してくれていたからだと思うんです。先生たちの言葉にはちょっとモヤモヤしていたんですけど、周りの友達が本当に当たり前にやってくれたので。だから、やっぱり人と環境がとっても大きく作用してくるんだなって思いました。

私も小学生の頃は「やってもらっちゃってる」っていう状況でしたから、対等な友達っていうより少し引け目を感じちゃう時がある、っていう内容は印象的でした。先生たちは「手伝ってあげてね」と教えることが多くて、だから周りの子たちも「やってあげなきゃ」ってなってしまう。そうなるとどうしても対等じゃない「やってあげる側」と「やってもらう側」の関係になってしまうんで。対等じゃない関係を感じてしまうことで、なかなか自信が持てなくて友達関係を作りにくかった、っていうのが私もありました。ある程度成長して大学生くらいになるとだんだん理解できるようになってきて、接していくうちに障害者と健常者っていうより同じ人間として、友達として接するっていう風に変わっていったので、障害者と関わる環境とか、知る機会っていうのがすごい大事なのかなって思いました。

周りの人から受ける影響

車いすユーザーのスタッフさん3名にとっては自分と近い立場の方の記事なので、同じような経験をしていたり気持ちのわかる部分がより多くあったようでした。スタッフの皆さんに共通していた意見は「環境や周りの人たちの関わり方が、当事者の気持ちや行動に大きく影響する」というもの。特に子どもにとって先生の言葉がいかに大きく影響するか、というところは実感がこもっていました。このあたりは少し気になったので、同じような経験を持ちながら違った気持ちを感じていたお二人に、編集部大澤から少しだけ質問をさせていただきました。

g編:「小学校の時、先生の言葉にはモヤモヤしていた」という発言がありましたが、モヤモヤしながらも「申し訳ない」と思わずに済んだのは、周りの子たちが特別扱いせず接してくれたからなんですよね。
 
そうですね。特別扱いはされませんでした。もともと私は外で遊ぶの苦手なんですけど、レクの時間にみんなで外で遊びましょう、っていう時に私が外に出ようとしなかったら「なんで?障害があるからって参加しなくていいわけじゃないんだよ」って言われちゃったこともありました。「外、出たくないのに」って言ったら「言い訳にすんなよお前」ってちょっと言い合いになってしまったりとか。

g編:なるほど、特別扱いされないがゆえにそんなこともあったと。

逆にもうちょっと優しくしてほしいくらいでした(笑)。けどその辺は幸せだったなって。

g編:(笑)。一方で「対等ではない関係を感じていた」という発言をされたスタッフさんもいましたね。周りの子たちの接し方についてはいかがでしたか?
 
そうですね。やっぱりどうしても「手伝ってあげなきゃいけない、助けてあげなきゃいけない」っていう存在でしたね。私はずっと普通学級だったんですけど、先生も障害者と接する機会が少ないからわからなくて「助けてあげなきゃいけない」っていう扱いになっちゃうのかな。そうなると対等の関係っていうのが築きにくくなっちゃうと思います。 

 

g編:今まではそういう学校や先生が多かったのかもしれないけど、これまでの既成概念がどんどんアップデートされていく中で、学校や先生の認識もあらたまっていかなければいけないんでしょうね。
先生も悪気があって言っているわけではないのでしょうけど、「手伝ってあげてね」「お世話してあげて」という言葉が無意識に子どもたちの間に立場の違いや壁を生み出し、居心地の悪さを作り出してしまう。それに気づけていないのは、やはり障害や障害者に対する思い込みや先入観によるものでしょう。それのみによって周りの子たちへ「手伝ってあげてね」と促してしまうために、当事者の気持ちに寄り添えていない対応になってしまうのだろうと思います。まずは当事者の気持ちありきでなければと思いますし、その認識が必要なのですが、車いすユーザーのスタッフさんが口にした「接する機会の少なさ」ゆえにそうできていない。やはり知る機会が少ないのだろうと感じます。

ここまで当事者の意見や感想に直接触れ、どう感じたかを学生の皆さんに答えていただきました。
 
■つながりや人間関係が大事なんだなって感じました。友達が優しかったから違和感を感じなかったとか、やっぱり周りの環境って大きいんだなと思いました。

■小学生の頃に障害を持った方が同じクラスにいたんですけど、どう接していいかわからなくて。先生に言われた通りにしか接することができていなくて、それを後悔しているんです、もっと何かできなかったかなって。だから先ほどの「何かお手伝いしましょうか」って言われて嫌な気持ちになったことは1度もありません、という言葉にちょっと救われたというか、これからはもっとお声かけできるようにとあらためて思いました。

学生の皆さんは、同じ記事を読んでも印象に残る部分や感じ方は立場によって違うんだと、あらためて感じたのではないでしょうか。周りの環境や理解によって、当事者の気持ちや行動に大きく影響があると実感した様子でした。そして感想にもあったように、ロービジョンのスタッフさんが言っていた「手を差し伸べられて、嫌な思いをしたことは1度もない」という発言には皆さん勇気付けられたのではないかと思います。気持ちはあるけど一歩踏み出せない、そんな学生の皆さんにとっては、背中を押してくれる一言だったように感じます。

座談会:ブレーキをかけてしまう気持ち

 

7月の授業ではもう一つ、「ブレーキをかけてしまう気持ち」についても話し合っていました。本文中で杉﨑さんが「車いすユーザーだから、と自分でブレーキをかけてしまっていた」という発言を取り上げ、そういう経験が学生の皆さんにもあるか、それはどういう時なのか、どう乗り越えていけるのか、などについてディスカッションをしていました。同じ内容で、ミライロハウススタッフの皆さんに語っていただきます。
まずはミライロハウススタッフの皆さんの中で唯一、生まれ持ったものではなく目の病気によって視覚障害となったロービジョンのスタッフさんに語っていただきました。

 

 

g編:まずお聞きしたいんですが、レーベル病によって見えにくくなってしまったわけですけど、それまでは晴眼者と同じように見えていたわけですよね。見え方の変化によって自分にブレーキをかけてしまうことがあったのかな、というのをお聞きしたいんです。

自分は学校の廊下で友達を見つけたら、自分からコミュニケーションとりにいくようなタイプだったんです。けど目が悪くなって誰が誰なのかっていう判別が難しくなってきて。高校の制服なんてみんな同じ格好だから余計わかりにくいし、自分からコミュニケーションを取りに行く機会が減っていってしまいました。自分の目が悪くなったことは同じクラスの人は知っていたけど、それを知らない他のクラスの人たちからは「なんかあいつ変わったよね」みたいに思われていたと思います。

ロービジョンの方々にとって、こういう経験はよくあるようです。続くお二人も同じような経験、気持ちを語ってくれました。

 

 

私は大学までずっと普通校に通っていましたし、視覚障害はありますけど白杖は使わないので、私の目のことを知らない人は周りにたくさんいたんです。同じ学年でも他のクラスの子とか、先輩後輩にまでわざわざ自分の目のことを言わないですし。だから学校で普通に過ごしていても、廊下ですれ違った時に誰かわからない。部活の先輩には挨拶をしないといけないけど誰が先輩がわからないし、逆に「おはようございます」って挨拶したら相手が同学年だったりとか。相手が誰だかわからないから人との距離感がつかみづらいっていうか、そういう理由で集団内での振る舞いには結構苦手意識があって。人の輪に入りづらかったりとか、そういう経験はあります。後輩とも仲良くなりたいのに「おはようございます」って言っちゃったことで距離が近づかないとか。だから自分から人に声かけるのやめておこう、となってしまいますね。

すごい共感します、ほぼ同じような経験をしているので。やっぱり人と仲良くなるまでのスピードが遅い、時間がかかってしまうんです。なので人間関係を新しく構築することに対してネガティブになってしまう部分はあると思います。その場によく知っている友達がいて、その人たちの会話の中から誰が誰かわかる状態なら積極的に話しかけられるんですけど、1人では飛び込めないです。相手が見えてないし、そういう所でブレーキをかけている部分はあるかなと思います。
あと集団での人間関係を構築するのが難しいので、学級委員とか生徒会とかをやってみたいっていう気持ちがあったとしても、自信が持てないんです。別に視覚障害があるから学級委員ができないって、イコールじゃないですよね、合理的に考えれば。だけどやっぱり心のブレーキをかけてしまって「視覚障害がある私にはできなそう」とか積極的になれない自分がいて、手をあげたくてもあげられない、みたいなところはあったなと思います。

それぞれの見え方は異なっていても、やはり障害特性的に同じような状況に直面しやすいようですね。この辺りは当事者ならではの経験談を伺う機会として、とても貴重なものでした。そして車いすユーザーのスタッフさん3名からは、また違った視点からの意見が語られました。

 

私としては障害を理由にブレーキをかけることは今までなかったと思っています。何かを諦めなきゃいけない、できなかったっていうのは自分の努力不足だって思ってて。もともと私は通訳になるのが夢だったんですけど、その夢は叶えられませんでした。でもそれは障害が理由ではなくて、自分の実力不足だったりとかそういう部分だったので。なので私自身は障害を理由に何かを諦めなきゃいけない、って経験はないですね。


私は将来やりたい仕事を考えた時に、ブレーキをかけちゃったなって思ってて。将来医療従事者として病院で働きたいって、ずっと思ってたんです。進路を考えて進学先をいろいろ見学にも行ったんですけど、車いすユーザーが病院に就職した前例がない、っていう話を聞かされたり、そもそも門前払いみたいな大学もありました。大学としては受け入れられるけど、就職できる保証や研修の受け入れ先が確保できる保証もできないので、という風に言われたりもして。そこでどうしても「努力を積み重ねて頑張っても、結局それは水の泡になっちゃうかもしれない」って思ってしまって、ショックを受けたくないと思って諦めちゃったんです。けど今でもそういう仕事につきたかったと思いますし、チャレンジすればよかったなって。それがブレーキをかけてしまった経験かなと思います。
 
私も障害を理由にブレーキをかけたことはないかなって思います。私は映像系の大学に通っているんですけど「なんでお前ここにいるの?」って言われること多いんです。ロケとか撮影ってザ・肉体労働なのになんでお前いるの?って。けど私は「だってやりたいからいます!」って答えます。やりたいことを障害を理由に諦めてはないですね。映像系の職につくのが現実的には難しいのは本当なんですけども、やりたかったらやるし。だから障害を理由にブレーキをかけた経験はあんまりないかなって思います。

ここは三者三様でした。嫌な経験によって臆病になってしまうことは障害の有無に関わらず誰しもあるので、もしかしたら同世代の学生さんたちにとっては親近感を感じられる意見だったかもしれません。
続いて学生の皆さんに、ミライロハウススタッフの皆さんの意見を聞いて感じたことを伺うと、こんな感想があがりました。

 

 

■私は初めから難しいこととか高いレベルことに挑戦しない性格だったので、やる前からブレーキをかけることが多いんですが、できることはやらないとなって思うし、皆さんの話を聞いて、自分に自分で制限をかけるのはすごいもったいないことだとあらためて感じて、 いろんなことに挑戦するのもそうだし、高い目標を立てるのもすごい大切だなと感じました。

■私もブレーキをかけるどころか初めからアクセルを踏まないような所もあるんですけど、やってみないとできないかどうかもわからないから、まずはやってみようと思いました。

■私は進学する時に「こういう理由で受け入れられない」なんて門前払いをされた経験はありませんから、大学側から門前払いされてしまう環境があるのは問題だと思いました。「バリアがあるからできませんよ」と社会の側から一方的に決めつけるのは、もったいないんじゃないかと感じました。

■捉え方とか考え方がそれぞれ違って、聞いているうちに自分が抱えている不安や心配も、もしかしたら他に人にとっては些細な、気にも留めないようなことかもしれないって思えてきました。不安や心配は、自分の心の持ちようで変えることができるんだなって、皆さんのお話を聞いてそう思いました。

■私も目があまり良くないので、話にあった廊下で挨拶ができなかったり、それによって勘違いされてしまうっていう気持ちはわかります。そういうものを人に理解してもらうって、難しいことなのかもって感じました。私も臆病なところがあって、やりたいことも「人にどう思われるだろう」と考えてしまったり、何かのせいにしてしまうことも多かったので、「できないのは努力不足」という発言はすごく尊敬します。



確かに視覚障害のスタッフさん3名がそれぞれ語ってくれたように、障害特性的に直面しやすい状況は 存在していて、それによって委縮してしまう場面というのはあるようでした。ですがそれは幅広く多様な人の認識が広まれば、変わってくるものなのだろうと思えます。もしかしたらよく見えていなかったのかもしれない、あるいは聞き取りにくかったのかも、この伝え方ではうまく伝わらなかったのかも…など、幅広くあらゆる可能性を認識できれば、相手の立場を想像できる。そのために「自分と違う、身近にいる人」について知ろうとすることが大切なのだろうと思います。そして心のブレーキは障害の有無に関わらず誰しも持っているものだし、それは自分の心の持ちよう次第で変えられる、と学生の皆さんはあらためて感じたのではないでしょうか。

 


 

日頃当事者との接点がないために、自らの学びを深めるのに課題を抱えていた跡見学園赤松ゼミの皆さん。今回の座談会で直接接点を持って、きっと大いに刺激を受けたでしょう。座談会の後はゼミで作成した学内のバリアフリーマップや、視覚障害者が学食をより快適に使うための改善案などを、それぞれミライロハウススタッフの皆さんに披露し意見をもらっていました。こちらについては今後意見交換を重ね、成果を「ミライロハウスTV」で動画発信する予定となっているそうですので、こちらもぜひご注目ください。